2-13.カム・ゴー・ウィズ・ミーCome Go With Me-デル・バイキングスThe Dell Vikings(クラレンス・クイックClarence Quick)
56年12月フィー・ビーFee Beeのシングルとして発売:57年1月ドットDotのシングルとして再発売:R&B2位、ポップ4位、60年5月ドットDotのシングルとして再発売
人によっては、デル・バイキングスのキャリアは、正確なレコーディングとメンバーの情報を帰属させるのが、例外なしに最も難しいレコード集だ。二つの異なるレーベルで二つの異なるグループが同時にいる――それぞれのレーベルで、初期のセッションにおけるいくつかのレコーディングがあり、様々なグループ・メンバーがいた――ので、几帳面な歴史家にとっては、彼らの物語を記録するのはとても難しい課題だということが容易に分かるだろう。幸いにもほとんどの私たちにとって、これらの細かいことは無視できるものであり、二大ヒット曲(「ウィスパリング・ベルズWhispering Bells」がもう一曲)はそれ自体が素晴らしいのだ。
デル・バイキングスThe Dell Vikings(後のリリースで表示されたのは、Del Vikings、Dell-Vikings、Del-Vikings)は、1955年にピッツバーグにおいて空軍の軍人のクラブで、全員黒人のグループとして結成された。
リード・ボーカリストのクレアランス・クイックClarence Quickが書いた「カム・ゴー・ウィズ・ミー」で、たくさんのタレント・コンテストにおいて勝った後、地方の小さなレーベル(フィー・ビーFee Bee)と契約してデモ盤を録音し始めた。この時もう一人のメンバーが徴兵されて、代わりの入ったのが、白人のデビッド・ラーチーDavid Lercheyだった。
この顔ぶれで、「カム・ゴー・ウィズ・ミー」がホテルの部屋において録音された。初めは地方においてフィー・ビーからリリースされたが、すぐ後にナッシュビルのドット・レコードDot Recordsにリースされて、全国レーベルで再発売されるや否やチャートを駆け上がり始めた。
ほとんどのグループがアルバムを1枚もリリースしなかった頃、デル・バイキングスは2枚目のヒット「ウィスパリング・ベルズWhispering Bells」を出した後、彼らを扱ったLPを3枚とEPを1枚も出したのは異例だった。その時までに、白人シンガーのガス・バッカスGus Backusを加え、この時から宣伝用のほとんど写真について、人種差別をしないというグループの性格を強調した。
また、デル・バイキングスのレコードは、フィー・ビーとドット、そしてマーキュリーのものがあったが、この話はあまりに複雑すぎて、ここではできない。
「カム・ゴー・ウィズ・ミー」は、史上最も人気のあるオールディーズの一つであり、1981年にビーチ・ボーイズThe Beach Boysがカバーしてヒットさせた。